まるで落語のようですが、あまり笑えない実話をひとつ披露いたします。
古今亭志ん生(5代目)の「厩火事」という演目をよく聴いています。枕で「縁ということを申しますが~」で始まる笑い噺があり、「会いたいと思っても会えない、そのかわり会いたくないと思っても縁があると会う」と。それに似たお話です。
それでは実話です。
3ヶ月位前でしたでしょうか、博物館からの帰り道、職員用の出口を出てわりにすぐの所ですが、耳にイヤホンを入れて音楽を聴きながら足早に歩いていると思いがけず背後に人の気配を感じました。
振り返ると、50~60代の細身の男性が1人立っていました。髪は短め、ジーンズにジャケットといったラフな服装、カバンを肩から提げた全体のイメージから、工場勤務の帰りかなというのが私の第一印象。
「何でしょう」と尋ねると、「実は川崎から仕事(家だったかなあ、忘れた)を探しにここまで来た。帰ろうとしたら財布を落としてしまったことに気がついた。東京駅までは歩いていくが、そこからの電車賃を貸してもらえないだろうか」と言うのです。
普段ならこの手の話は即お断りしますが、なぜかこの時ばかりは年末年始の「派遣村」の報道が頭をよぎり、この寒い中を歩いて川崎か…と同情し、また私自身が急いでいたこともあり、ポケットの小銭に手をのばしました。すると男性は「必ずお返ししますから住所を教えてください」とタバコの空き箱とペンを取り出し、まさに書き留めようとする準備をしました。
そのリアクションに半信半疑ではありましたが、早くこの場を去りたいという気持ちが本音でもあり、手にした500円玉と「すぐ近くで働いているのでここに連絡をください」と名刺を一緒に渡しました。
その後、釈然としないまま家路に着き、事の顛末を妻に話しました。いいことをしたんだから私にもいいことがあるとフォローしてくれましたが、やはり案の定と言うべきか、今日まで何の音沙汰もありません。
そして、縁を感じるときがやってきたのです。
数日前の帰り道。今度はもう少し駅に近い場所で、私1人信号が変わるのを待っていたその時でした。
あの時と同じようにイヤホンを耳に入れていた私は、人の気配を感じて振り向きました。すると立っているじゃありませんか!あの男性が!同じような格好で。
驚いた私は言葉も出ません。すると男性から「定期を落としてしまいまして、お金を…」と始まりました。もう、情けなくて情けなくて…。ひとつ深呼吸をしてから「まだあの時の500円を返してもらっていません、返してください」。すると即座にカバンから500円玉を取り出しました(何だよ、それなら切符買えるだろ!)。
「もうこういうことはやめたほうがいいですよ」と言って、私は横断歩道を渡りました。振り返ると男性は、駅とは反対の方角へ歩いていました。恐らく家は近所にあるのでしょう。
この男性は、外見は大人しく気が弱そうで、また独特のか細い声で頼まれると助けてあげたいと思わせる不思議な雰囲気を持っています。そして、何より記憶に残るのはその円らな目で、嘘をついているようにはとても見えない少年のような瞳です。
そんな特徴を自分でもわかっているのでしょう。たぶん同じような行為を繰り返しているのではないかと思います。人通りがあまり多くない場所で、私のようなサラリーマン風の人が1人でいるところを狙っているのではないでしょうか。まさかまた同じような場所で同じような手口で同じ人に声をかけてくるとは…。
3ヶ月前、私はあの男性を信じました。そして3ヵ月後、貸したお金は返ってきました。しかし、私の善意は無にされたまま、奪い去られたままです。もう3度目はいやだ、会いたくない。縁があったらどうしよう(笑)。
みなさま、どうかお気をつけください。

やい、おじさん、利息をつけて大福帳に書入れたいくらいだよ!


