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【コレクション】
コレクション探訪
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明治時代になると定期刊行物である雑誌が初めて日本に誕生しました。しかし初期の雑誌は政治色の濃いものや啓蒙が主で、ページ数や発行部数も少なく、大衆が読むものではありませんでした。読者層の確立と、大部数発行に耐える印刷技術の発展を背景に、雑誌が二十万部を超えるような大部数発行されるようになったのは大正時代に入ってからです。
『少年倶楽部』は少年向けの月刊誌として大正三年、大日本雄弁会(現・講談社)から創刊されました。当時、すでに同種の雑誌では『少年世界』、『日本少年』などのほか、少年向けの雑誌が多数発行されていましたが、中でも『日本少年』は発行部数二十万部を誇る少年雑誌として定着していました。少年向けの雑誌が乱立する中、各社は人気の挿し絵画家の起用や、多色刷りの口絵や付録を付けたりして読者の獲得に努めました。創刊時、『少年倶楽部』の発行部数はわずか三万五千部でしたが、こうした努力に加え、編集内容の多様さにより部数を伸ばしていきました。吉川英治や大佛次郎などの人気作家による連載小説や漫画「のらくろ」の爆発的な人気により、最盛期の昭和十一年には発行部数七十五万部の大衆少年雑誌に上り詰めました。
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