コレクション

「玉堂富貴」

展示中

1877年(明治10年)制作/サイズ:260×410mm(横×縦)

資料番号:00437

「玉堂富貴」は日本で初期の本格的な多色刷り石版印刷物です。当時大蔵省で石版印刷の研究をしていた石井鼎湖が制作に関わり、手彩色ではなく、色数にあわせて石版石を使った多色刷りに成功しました。玉堂富貴とは、玉(ぎょく)蘭(らん)(白(はく)木(もく)蓮(れん))、海棠(かいどう)、牡丹(ぼたん)を組み合わせた南宋画の伝統的な画題の一つで、玉蘭と海棠は玉堂を、牡丹は富貴を表し、富裕の象徴とされました。江戸の文人たちに好まれた伝統的なモチーフを、石版印刷という明治の新しい印刷方式で表現しました。
大蔵省紙幣寮(1877年に紙幣局、翌年印刷局と改称)は、1874年1月に元薩摩藩士・得能良介を紙幣寮頭に迎え、印刷の近代化を進めました。10月からは紙幣の偽造防止研究などを目的に、石版印刷事業を初め、大蔵省記録寮に出仕していた石井鼎湖(洋画家の石井柏亭の父)は紙幣寮に移りました。さらに、紙幣寮は1876年2月に彫刻会社から石版印刷師のチャールズ・ポラードを雇い入れ、石井や青野桑州らに石版技術を学ばせました。その成果が実り、多色刷り石版(クロモ石版)による「玉堂富貴」が生まれました。その後も印刷局は、『大日本貨幣精図』、『国華余芳』などを続々と出版していきました。
現在世界で主流となった印刷方式は、オフセット印刷だといえるでしょう。オフセット印刷の源流は、平版印刷の歴史を遡ることになり、それは1798年にドイツで誕生した石版印刷術に辿り着きます。日本での石版印刷の受容は江戸末期で、1860年に石版印刷機がプロシアの使節団から幕府に献上されたといわれています。「玉堂富貴」は200年を超える世界の平版印刷史において、日本を代表する歴史的印刷物です。