印刷博物館ニュース

印刷博物館ニュース
Vol.80 - 特集 -

企画展「和書ルネサンス」解題

4月17日(土)から「和書ルネサンス 江戸・明治初期の本にみる伝統と革新」展がはじまります。
和書とは「日本で出版された本」「日本語の本」のことで、仏教書、医学書、文法辞書、趣味娯楽本などさまざまなジャンルの和書があるなか、今回は古典文学に注目します。
日本では長い間、手書きの和書が中心でしたが、1600年前後に活字による出版(古活字版)がはじまると大きく様変わりしていきます。
同じく活版印刷登場により、ギリシャ・ローマ古典との再会を果たした15世紀ヨーロッパでのルネサンスになぞらえて、今回の展覧会タイトルとしてみました。

第Ⅰ部 『源氏物語』登場―古典の復興

徳川時代到来とともに、あらたな古典文学の伝承がはじまります。海外からやってきた書物複製テクノロジー「活版印刷」による出版です。木製や金属製の活字をならべ組み、印刷する方法で、特に京都の上層町人のあいだで盛んに、古典が出版されました。豪商角倉素庵(すみのくらそあん)による「嵯峨本(さがぼん)」が代表例といえるでしょう。古活字版隆盛は日本の出版界におおきなインパクトを与えました。慶長末頃から嵯峨本出版が下火になると、1枚ずつ版を彫り上げる木版( 整版ともいう)が、古典出版に力を発揮しはじめます。たかまる需要に追いつくには活版出版では心もとなかったのです。この木版本が1650年代以降、徳川出版文化の主役を担います。
一方、メディアのうつり変わりは一筋縄にいきません。中世から続く大和絵の伝統は徳川時代にも絵巻などに受けつがれます。見事な手業による絵巻は鑑賞のためばかりでなく、古典文学を伝えるメディアとしての役割もありました。杉原盛安(すぎはらもりやす)がプロデュースした〈源氏物語絵巻〉「夕顔」断簡、「末摘花(すえつむはな)」を通して、『源氏物語』の華麗な世界にふれてください。同時代の絵巻と密接に関係しつつ、奈良絵本『落窪(おちくぼ)物語』のような手描きの着彩絵本が、17世紀に黄金期を迎えます。印刷本の隆盛と反比例するように、中期以降じょじょに減り、彩飾手写本文化そのものが勢いを失っていきます。

❶10行本『源氏物語』
実践女子大学図書館蔵

第Ⅱ部 出版がささえた庶民のユーモアと悲哀

挿絵がはいることで木版本はさらに飛躍していきます。絵入り本がひろく社会に受け入れられていく18世紀前半、出版の中心は京都・大坂から将軍のお膝元である江戸へ移ります。江戸出版の華といえば、浮世絵と双璧をなす「草双紙(くさぞうし)」でしょう。袋とじの薄い本である草双紙は、元禄享保年間に登場した赤本を起点に、子ども向けに正月の縁起物として作られ、内容や装丁により黒本、青本、黄表紙とよび名を変えていきます。表紙の色で、本の製作時期や内容がわかるのは興味ぶかいポイントです。
草双紙の著者や画家には、マルチな才能を持つ者も多くいました。浮世絵師が挿絵画家を、挿絵画家が作家を兼ねました。たとえば、18世紀を代表する浮世絵師富川吟雪(とみかわぎんせつ)は本屋を営み、錦絵なども販売する傍ら、自分で下絵を描き、黒本・青本では物書きとして文章も執筆しています。黒本『三好長慶室町軍(みよしながよしむろまちいくさ)』でその多才ぶりを確認できます。

❷黒本『三好長慶室町軍』

第Ⅲ部 近代作家はどのように誕生したのか

話し言葉と書き言葉の共通化は、近代文学誕生にとって大切な要素です。たとえば、『浮世風呂』や『春色梅児誉美』にみられる庶民のリアルな「会話」は、明治期以降、西欧の書物文化の力も借りながら、言文一致運動へと文芸的に整理されていくことになります。
日本文学が欧米で紹介される機会が増えたのも19世紀でした。『浮世形六枚屏風(うきよがたろくまいびょうぶ)』は柳亭種彦(りゅうていたねひこ)の戯作をウィーンで出版したものです。一方で、西洋から招来した新メディアの新聞や雑誌が、やがて近代日本文学作品の発表の場となっていきます。「新小説」では言文一致をめざす小説類が、「ホトトギス」では短歌・俳諧が紹介されています。こうした近代文学作品執筆を可能にした背景に、あたらしい日本語の普及があります。その象徴が教科書でしょう。西洋由来の近代教育現場で、読みやすい楷書体活字による教科書をつかい、『源氏物語』や『徒然草』が紹介されていきます。平安期から守り続けられてきた古典を、幼い子どもが教科書でまなぶ日々がやってくるのです。

❸「ホトトギス」
❹『浮世風呂』

おわりに

文学は日本人にとってリレーのバトンのようなものです。活字と版画の競演により、古典というバトンは確実に江戸から明治期へとわたり、出版文化がみごとに華ひらきます。百年余り前に誕生した近代文学も、千年前に誕生した古典文学も、印刷出版によってささえられたあたらしい日本語のおかげで、現代のわたしたちへ受けつがれました。日本ほど多様かつ複層的な進化をみた印刷出版文化は世界でもめずらしいです。展示を通してその幅と厚みを、ぜひご堪能ください。
(印刷博物館 学芸員 中西保仁)