印刷博物館ニュース

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Vol.82 - 特集2 -

感染症と印刷がもたらした医学の革新

新型コロナウイルス感染症が世界中で猛威を振るう2021年。感染症への恐れもさることながら、価値観の変容をも迫られてきています。
しかし、歴史を振り返れば、疫病の広がりによって社会に大きな変革が要請されたことは、今回が初めてではありません。
ペストの流行後に、印刷が社会にもたらした変化について見ていきましょう。

1 旧来の医学 四体液説

感染症の広がりに対し、14世紀の医療従事者はどのような対応をしたのでしょうか。ここで考えなければいけないのは、当時、医者と呼ばれる人びとが、どのような立場で、何を規範にしていたのかです。
大学の医学部で用いられていたのは、古代ギリシャ由来の四体液説という理論でした。熱い・冷たい、湿り・乾きの2軸の組み合わせによって、人の体液は分類されています( ❶ )。
これらのバランスが崩れることにより、体の不調として表れると、考えられていました。治療として行われたのは、瀉血(しゃけつ)と呼ばれる血を抜くことや、薬草の処方などです。治療の時期や内容は、四体液説の元となる四元素論に基づき、判断をしていました。
一例として憂鬱質(メランコリック)の治療を紹介しましょう。ギリシャ語でmelas(黒い)、khole(胆汁)と呼ばれる通り、憂鬱な気分は黒胆汁過多によって引き起こされると、考えられていました。そのため、黒胆汁に対置する熱く湿った性質を持つ薬草を用い、バランスを整えるといった具合です。また、四元素論は天体とも結びついていました。当時の医学では治療の時期を、惑星の配置や黄道十二宮による月の位置などで、判断していたのです。

❶四体液の分類

2 医療従事者としての理髪師

当時の医者は理論に傾倒するあまり、外科などの手術は行っていませんでした。手技や薬剤の調合は職人の仕事とされていたのです。16世紀のさまざまな職業を紹介した『西洋職人づくし』の「理髪師」( ❷ )の項には、次のような詩が付されています。「…切傷、古傷、骨折をなおす てきめんにきく軟膏もわしはつくる 梅毒をなおし、そこひを手術し 火傷をなおせば、歯もぬく しかもひげそり、頭を洗って髪を刈る 瀉血も大いに得意なのじゃ」【※1】 。ハサミを用いて頭髪のみならず、人体をも切っていたわけです。現代の外科医とは異なり、当時、職人の手仕事は蔑(さげす)まれ、ラテン語教育を受けた医学者と職人の間には厳然たる格差が存在したといいます。

❷『 西洋職人づくし』1574年
[ 資料No.51656]

3 ペストの流行

医学者と職人とのヒエラルキーを揺るがした要因の一つが、ペストの流行でした。皮膚が黒くなる特徴的な症状から、後に黒死病と名付けられたこの病は、歴史上何度も流行の波が起こっている感染症です。
特に甚大な被害をもたらしたのが、14世紀のヨーロッパです。1347年から1351年にかけて大規模に広がり、その後も繰り返し流行が起こったと伝えられています。この感染症によって失われた命は、当時のヨーロッパの人口の三割近く、2千万人とも推定されています。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による全世界の死者数が、450万人(2021年8月31日現在)【※2】とも言われることから考えても、大変な被害をもたらしたことが推察されます。
感染症が蔓延する世の中にあって、四体液説は無力でした。古代から受け継がれた知識ではなす術を持たない医学者に対し、治療にあたったのは一部の外科理髪師でした。ニュルンベルクの外科理髪師ハンス・フォルツが1493年に出版した書( ❸ )には、ペスト患者の切開をしている様子が図版に示されています。日頃の経験から学んでいた職人らは、ペストによる腫脹を切開することで、一部の患者が回復することを見出します。実践の中から新たな知を学んでいった職人らの姿勢は、過去の権威にすがり続ける医学者に対する疑義となっていきました。

❸ハンス・フォルツ
『ペスト患者の貴重な証言』1493年
ⒸBayerische Staatsbibliothek, urn:nbn:de:bvb:12-bsb00027051-1

4 印刷の登場と新たな学問の担い手

14世紀に起こった感染症への対応によって、従来の医学への不信は高まり、新たな方法論への転換へと繋がっていきます。その転換を後押ししたのが、15世紀にヨーロッパ社会に広がった印刷でした。学者と職人、両者にとって印刷は用いられたものの、より大きな変革がもたらされたのは、職人の側でした。
大学で学んだ医者は、古典をより多く手に入れ、比較、校訂し、正確に復元するための道具として印刷を利用しました。ルネサンス期における古典復興の中で、文書偏重の傾向が強まることはあっても、弱まることはありませんでした。
一方、外科手術や臨床を行っていた職人らは、経験によって得られた知識を記録し、印刷によって公開していきます。職人内での情報伝達といえば、職業や技術を守るため、ギルドと呼ばれる集団内に留めておくことが一般的でした。印刷の登場によって、集団の縛りは緩み、自らの経験を公開するなど、職人は新たな学問の担い手ともなっていきました。

5 医学教育への還流

外科理髪師の経験は、印刷によって公開され、医学教育の変革をもたらす外圧として、作用していきます。やがて、大学ではテキストを理論的に学ぶだけではなく、解剖などの実践も重視していくようになりました。単にカリキュラムの変更というよりも、物事の正しさを論理ではなく、経験や実践を通じて学ぶ、価値観の大きな変革だったのです。
これらの変化を象徴する印刷物が、1543年に出版されたアンドレアス・ヴェサリウス『人体の構造について』です( ❹ )。パドヴァ大学の講師という立場であったヴェサリウスは、自ら解剖を行う中で、過去の権威であるガレノスの誤りをいくつも発見していきました。また、本書の最大の特徴といえるのが、木版によって印刷された解剖図です。収録された図版の数はおよそ200点。同時代の医学書で図が多いものでも、数十点という状況の中、まさに偉業ともいえるものでした。また、一つ一つの図は正確かつ描写力に優れ、芸術作品としても見劣りしないほどです。図版はテキストを補完する以上の機能を果たしました。
手技の実践や経験の重視は、従来の学問とは大きく異なる点でした。それにもかかわらず、自然科学の基本姿勢として、以後、主流となっていきます。この転換は、図版印刷の隆盛と無縁ではありません。現代のわれわれにとって、図の情報としての価値は疑い得ないものとなっています。しかし、この考えは複製図版の登場によって、初めて構築された概念でした。医学において解剖図が重要視される土台が、ようやく整ったのです。

❹アンドレアス・ヴェサリウス
『人体の構造について』1543年
(所蔵:広島経済大学図書館)

6 まとめ

14世紀に起こった感染症の広がりなどが一因となり、過去の医学への疑念が生まれました。続く、15~16世紀において登場した印刷は、経験を重視する新たな価値判断を、長い時間をかけて世に広めていきます。これは社会における「正しさ」を更新していく過程でもありました。
本稿執筆時点では、新型コロナウイルスの終息はまだ見通せない状況です。人びとの不安は、感染への恐れもさることながら、堅固な土台と思われていた社会全体の価値観、「正しさ」の揺らぎに起因すると感じられます。同じ行為も背景が変われば、異なる意味を持ちます。感染症がもたらす余波が、価値観の変容をもたらすのか、あるいは変わらないのか、また、何よりも私たち自身が何を重要視していくのかが、改めて問われているのかもしれません。
(印刷博物館 学芸員 石橋圭一)

【参考文献】
・ 山本義隆『 一六世紀文化革命』(みすず書房、2007年)

※1: 訳文は『ヨースト・アマンの挿絵による
“STÄNDEBUCH”西洋職人づくし[解説版]』(竹尾、1990年)p.132より

※2: ジョンズ・ホプキンス大学による集計データより
https://gisanddata.maps.arcgis.com/apps/dashboards/bda7594740fd40299423467b48e9ecf6