印刷博物館ニュース

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vol.83 - 特集2 -

英国私家版―世界三大美書の版元たち

『チョーサー著作集』『ダンテ著作集』『欽定訳聖書』―世界三大美書とよばれるこれらの書物は、19世紀末よりイギリスで次々と生まれたプライベート・プレス(私家版出版所)により印刷・出版されました。
当館では世界三大美書を出版した代表的な3つのプレスの全作品を所蔵しています。
当館のコレクションを俯瞰することで、彼らの世界観にせまります。

19世紀イギリスの出版界

19世紀、ヴィクトリア朝下のイギリスでは、産業革命以降に導入された機械により製造業が飛躍的に発展しました。印刷・出版産業も例外ではありません。木製から鉄製の手引き印刷機へ、さらには動力機械の導入により本づくりの効率化がすすみ、マスメディアの発達や識字率の向上を背景に多くの出版物がうまれ、市場が成熟化していきます。一方で、大量生産による弊害として粗雑な商品が多く出回るなど、効率化を背景にした本づくりの問題点が議論をよぶようになりました。このような風潮のなか、15世紀の初期印刷本を模範とした、手仕事による丁寧な本づくりを志向する人びとが現れ、その実践としてプライベート・プレスが生まれていったのです。彼らのつくる書物は私家版とよばれ、それぞれが書体やレイアウト、紙やインキにこだわり、少部数で美しい本の出版に注力しました。本コラムでは、プライベート・プレスの代表格で当館が作品を所蔵するケルムスコット・プレス、アシェンデン・プレス、ダブズ・プレスに注目します。

陰なる立役者

各プレスについてふれる前に、彼らを語る上で、欠かせない人物がいます。エマリー・ウォーカー―写真製版を生業としていた印刷人です。彼が1888年にアーツ・アンド・クラフツ展覧会協会で行った活版印刷と挿絵に関する講演は、後のブックデザインに影響を与えたといわれています。また、ウィリアム・モリスはこの講演の聴講を機に自身オリジナルの活字をつくること、ケルムスコット・プレスをつくることを決意しました。この講演では、機械製ではなく手漉す きの紙を使用すること、読みやすいデザインの活字を使用すること、挿絵は活字との調和を重視すること、インキはしっかり黒く刷ること、マージンを十分にとることなど、美しい本をつくるための要件を写本や初期印刷本のスライドを参照しながら説明しました。ウォーカーは美しい本とは何かを論じただけではなく、今回紹介する3プレスの活字デザインも手がけたほか、印刷人としてプライベート・プレスの活動をサポートしました。

ケルムスコット・プレス
(活動期間 1891-1898年)

プライベート・プレスの先駆けは詩人、デザイナー、社会主義者としてすでに名を馳せていたウィリアム・モリスが主宰するケルムスコット・プレスです。モリスはここで晩年、精力的に活動しました。若い頃より中世世界に心酔していたモリスは、初期印刷本だけではなく中世彩飾写本にも関心をもち、作品収集に加え写本制作にも挑戦していました。プレス設立後も、中世の物語や、自身が執筆・出版していた作品を中心に53タイトルの書物を出版しました。設立趣意書には美しく、かつ読みやすい本をつくりたいという思いから印刷を始めたことが記され、そのための重要な要素であるオリジナルの活字づくりに取り組みました。15世紀ヴェネツィアの印刷者ニコラ・ジャンソンが生み出したローマン体を理想の字体としたモリスは、ウォーカーとともにゴールデン活字をデザインしました。また読みやすさを意識したブラックレター体のトロイ活字、トロイ活字を小さくしたチョーサー活字もつくり、主にこれらを活用します。自身の考える品位ある版面を実現するために、字間や行間に過度な余白を避け、中世書物の写本や印刷本にならい、のど側の余白を小さくし、天、前小口、地の順に余白をとり、見開きを1つの単位と考えるレイアウトを意識しています。またイニシャル( 装飾頭文字)やボーダー(縁飾り)、挿絵をほどこし、自身が愛した中世世界の美を、印刷を通して表現したのです。

ヤコブス・デ・ヴォラギネ『黄金伝説』
(1892年、ゴールデン活字)
[資料No.34984 〜 34986]

アシェンデン・プレス
(活動期間 1895-1935年)

自らを「アマチュア・プリンター」とよび、3プレスの中で最も私的なモノづくりに没頭したのが、28歳でアシェンデン・プレスを設立したセント・ジョン・ホーンビーです。勤務先の会社で印刷の手習いを受けたことをきっかけに、自宅に印刷機や活字をそろえ、仕事以外の余暇の時間を印刷活動に費やしました。プレス設立初期の頃は植字工や印刷工は雇わず、兄弟姉妹や従弟の助けを借りて試行錯誤しながら自身の好きな本を自分の美しいと思う形で制作します。最初は内輪で楽しんでいた書物は、徐々にコレクターの評判をよび、一般販売にいたります。イタリア語やラテン語に親しんだホーンビーは、ルネサンス期の文芸作品や、それらの範となったギリシャ・ローマ古典を中心に印刷・出版しました。第一次世界大戦による休止をはさみながら、約40年の活動のなかで40タイトルを出版しました。最初は知人から譲り受けたフェル活字やカスロン活字を使用していましたが、ウォーカーのデザインで念願のオリジナル活字をつくり、13タイトル目の『神曲 地獄篇』から使用します。スビアコ活字とよばれたこの活字は、その名が示す通り、15世紀にスワンハイムとパンナルツがローマ近郊のスビアコの修道院でつくった初期のローマン体活字が基となっています。その後ドイツ・ウルムの初期印刷本を基に同じくローマン体のプトレマイオス活字もつくり、プレス活動後期の4タイトルに用いました。

ダンテ・アリギエーリ『神曲 地獄篇』
(1902年、スビアコ活字)
[資料No.20704]

ダブズ・プレス
(活動期間 1900-1916年)

弁護士を経て装丁家となったトーマス・ジェイムズ・コブデン=サンダースンが、エマリー・ウォーカーとともに設立したのがダブズ・プレスです。タイポグラフィの問題に取り組むこと、また文学的傑作を適切な形式で印刷することをプレスの目的としていました。装丁家としてケルムスコット・プレスの製本を一部手掛け、モリスを賞賛したコブデン=サンダースンですが、ブックデザインのありかたについてはモリスと主張を異にしていました。特にケルムスコット・プレスののど側の余白が狭すぎる点、活字が重たい点、余白やイニシャルを優先することによる詩行の秩序の崩れを批判しました。カリグラフィ、タイポグラフィ、挿絵を美しい本の構成要素と考え、なかでもカリグラフィとタイポグラフィを重視したダブズ・プレスの出版物には挿絵が1点もないことも特徴です。本の読みやすさや開きやすさを大事にしたコブデン=サンダースンはモリスと同様にニコラ・ジャンソンのローマン体活字をモデルに、ウォーカーのデザインでダブズ活字をつくり、出版した40タイトルすべての書物にこの活字を使いました。出版タイトルは、自身が考える後世に伝えるべき書物とし、高名な文学作品や、自身の思想に関連する書籍など、ラインアップは多種多様ですが、シェイクスピアとゲーテの作品は一定数出版しました。

ジョン・ミルトン『失楽園』
(1902年、ダブズ活字)
[資料No.20616]

美しさの多様性

オリジナルの手漉き紙や活字を用い、手引き印刷機でものづくりをした彼らの作品は、大量生産された廉価な本とは異なる一様の雰囲気をはなっています。しかし、同じローマン体を理想としたモリスやコブデン=サンダースンによる趣の異なる版面を比較し、ホーンビーによる年々進化する制作スタイルにふれると、それぞれ際立った個性を感じます。彼らが手塩にかけた版本を1点1点じっくりみていくと、それぞれが目指した、この時代の「美しい本」の多様性がみえてきます。
(印刷博物館 学芸員 式洋子)