印刷博物館ニュース

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vol.86 - 特集2 -

日本語の文字組みについて

日本の本は、右開きと左開きの本がどちらもたくさんあります。
文芸書、雑誌、マンガは右開きがほとんどですが、算数や理科、社会の教科書は左開きです。
辞典や事典などは左開きが多いように思います。
日本人にとって当たり前のことですが、実は世界的にはとてもめずらしいことなのです。

1. マンガの翻訳版の注意書き

日本のアニメの海外進出とともに、原作であるマンガの海外進出が近年進んでいます。国内で大ヒットとなったマンガ『進撃の巨人』は海外でも20か国以上で翻訳されています。その英語版の最終ページ( ❶ )を開くと、こんな風に書かれています。(ストップ! 読み方を間違えている!マンガはまったく違うタイプの読書体験。はじめから読むには、終わりへ!)
ドイツ語版にも同じような記述があります。英語もドイツ語も左から右へ読み進める横組みで、本は左開きが普通です。彼らにとっては右開きの読書体験がないので、いつもどおり左から開くとマンガだと最後のページになってしまいます。そのため、翻訳版には右から左へと読み進めるマンガの読み方についてわざわざ説明があるのです。

❶『進撃の巨人』英語版

2. 縦書きと横書き

なぜ、日本では右開きと左開きの本のどちらもあるのか、というとそれは縦書きと横書き、両方の文字組みが可能だからです。縦書きは、文字は上から下へ、行は右から左へと進むので、ページが右から左へ進む右開きの本になります。一方横書きは、文字は左から右へ進むので左開きとなります。
縦書きと横書きのどちらも私たちにとっては当たり前ですが、世界的にみると、それはかなり特異なことです。また、日本語の横書きですが実はその歴史は浅く、江戸時代以前はほとんどありませんでした。横書きは幕末、明治時代以降に行われるようになった新しい書き方で、それ以前は縦書きが普通でした。つまり本は右開きだったのです。まれに図版などのキャプションとして横書きが行われることはありましたが、短い語句に限ったもので、この場合は右横書きでした( ❷ )。

❷『六物新志 巻之上』1786(天明6)年
[資料No.29468]

3. 横書きのはじまり

日本人が本格的に横書きの必要性を感じたのは、外国との出会いが契機でした。辞書や会話集を出版する際、左横書きの英語やドイツ語に対し、どのように対訳を表示するのか苦労したようです。日本で最初のオランダ語辞書である『蘭語訳撰』は左開きの本ですが、本文を見ると左横書きのオランダ語に対し、日本語訳は小さい字の右縦書きで表記されています( ❸ )。
次に『和英商賈対話集』を見てみましょう。この本は本木昌造が手掛けた活字本で、塩田幸八の名義を借りて刊行した英会話集です。こちらも左開き本ですが、日本語訳の表記は左へ90度横転した縦書きになっています( ❹ )。
本格的な左横書きの最初のものと言われるのが内田晋斎(しんさい)の編纂した『浅解英和辞林』です。幕末から明治初期の辞書は横転した縦書きが多いのですが、この辞書は左横書きで表記されています。また、同時期の辞書は左開きの本であっても、巻頭のことばは右縦書きが多いなかで、本書の「序言」は左横書きです( ❺ )。こうして、欧文との併記が必要な辞書類で左横書きがはじまりました。
ここで一つ書き添えておきたいのは、活字の構造上の特徴についてです。明治初期に日本でも活版印刷が文字印刷の主流となりますが、日本の活字は縦横が同寸の正方形でつくられています。そのため縦組みも横組みも容易に行えたことが、横組み実現の背景にあります。

❸『蘭語訳撰(中津辞書)』1810(文化7)年
[資料No.74207]
❹『和英商賈対話集』1859(安政6)年
[資料No.20781]
❺『浅解英和辞林』1871(明治4)年
[資料No.51950]

4. 左横書きと右横書きの混在

左横書きがはじまったとはいえ、従来の縦書きが文字組みの基本であることは変わりませんでした。とはいえ、一定の分野では、左横書きは定着しています。例えば教科書では、算数や図画、音楽などは明治時代から左横書きが当たり前になりました。1909年の『オルガン教本』( ❻ )では、今と同様に左横書きで長文の文字組みが普通に行われています。左横書きは西洋から入ってきた学問や文化に関する分野では早くから定着したのです。
一方で、明治時代の新聞や雑誌といった西洋から入ったニューメディアのタイトルは右横書きのものが多く見られます( ❼ )。政府の欧化政策や横文字へのあこがれからなのか、右縦書きと読む方向が同じ右横書きがデザイン的に採用されたようです。本文は従来どおりの縦書きが主で、右横書きはあくまでもタイトルや見出しで、縦書きとセットで広く使われました。しかし時には数行にわたる説明文を右横組みで組むものもありました( ❽ )。
明治から昭和初期にかけて、日本では横書きの書字方向が2通りあったことで、人々は時にどちらから読むのか戸惑うことがありました。こうした問題を受けて横書きの書字方向の統一への動きが1940年頃から各所で起こるようになるのです。

❻『撰定オルガン教本』1909(明治42)年刊
[資料No.59186]
❼『日本大家論集』1887(明治20)年
[資料No.54021]
❽『芝居とキネマ』1925(大正14)年
[資料No.03462]

5. 左横書きへの道

横書きの書字方向を統一した方が良い、というのは万人の意見だったものの、どちらにするかについては意見が分かれました。しかし、特定の分野では明治期から左横組みが定着していたことや、アラビア数字との相性の良さ、また手書きの場合、左から右へ書く方がスムーズであるということから、統一するならば左横書きへというのが自然の流れでした。
1942( 昭和17)年7月6日、文部大臣は国語審議会に対し「国語ノ横書ニ関スル件」を諮問し、これに対し国語審議会は同月17日に「国語ヲ横書ニスル場合ニハ左横書トスル」という答申を行っています。これを受け本件は閣議決定し、内閣告示、訓令と運と思いきや、そうはいきませんでした。前年の1941( 昭和16)年12月に、太平洋戦争がはじまっており、保守や右派を中心とした勢力から反対を受け、閣議決定は見送られてしまったのです。右横書きは伝統的であるのに対し、左横書きは欧米化であるというのが反対派の考えでした。
左横書きが定着するのは、戦後になってからでした。しかしそれは内閣告示や訓令を通じてではなく、自然の成り行きでした。終戦から3年あまりの間に左横書きへの変化が一気に起こり、1950年頃には右横書きを駆逐してしまったようです。戦時中に左横書きは「欧米化=けしからん」でしたが、今度は同じ左横書きが「欧米化=近代的かつ新時代」という理由で歓迎されたのかもしれません。

6. 日本語の文字組みの特異性

日本はこうして右縦書き=右開きと、左横書き=左開きが行われるようになり、現在に至っています。
そもそも書字方向が縦書きの文字が世界には少ないのですが、日本や中国、韓国など漢字を使う国々では、歴史的に右縦書きを行ってきました。しかし現在、中国では公的な文書は横書きにするという法律があり、新聞や書籍は左横書きです。また、韓国では、漢字をほとんど使用することがなくなり、左横書きが一般的で、縦書きはほとんど行われていません。新聞紙に限っていうと、縦書きなのは世界で日本だけのようです。私たちにとっては当たり前の縦書きと横書きの併用は、世界的にみると非常にまれなことなのです。
(印刷博物館 学芸員 山口美佐子)

参考文献
・ 尾名池誠 著『横書き登場―日本語表記の近代』(岩波書店、2003年)
・ 町田和彦 監修・著『世界の文字の起源と日本の文字』(小峰書店、2004年)
・ 文化庁 〉 国語施策・日本語教育 〉 国語施策年表
https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/sisaku/nenpyo/index.html