印刷博物館ニュース

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Vol.92 - 特集1 -

色鮮やかな広告チラシ―引札の魅力

デジタル広告が一般的になった昨今、チラシやポスターを見る機会はすっかり減りました。しかしWEBやインターネットが普及する前は、新聞広告や雑誌広告をはじめ、チラシやポスター、DMなど紙媒体の広告は今よりずっと活気がありました。
今回は元祖チラシともいえる、江戸時代を起源とし明治から大正時代に盛んに作られた引札について紹介します。

1.引札とは

引札は一枚刷りの広告のことを指し、天和3(1683)年に呉服店の越後屋(現・三越)が配布したのが始まりといわれ、文化文政期(1804〜1830年)頃には庶民にも広まりました。商店や商品の広告、宣伝のために配る印刷物で、現在のチラシといえるでしょう。
明治初年頃には、絵柄を中心に据えた色鮮やかな引札が正月に配られるようになり、大量印刷が可能になった明治半ば以降に、隆盛期を迎えました。
江戸時代の引札は文字が多く単色刷りで、店の歴史や商品について長文を読ませるものが多い一方、明治時代の引札は錦絵広告のような絵柄を中心とした色鮮やかなものが多いという特徴があります。

2.正月用引札の画題

引札はご近所やお得意先に配るもので、多くの商店が利用する身近な広告でした。新年のご挨拶を兼ねて配られたため、正月用引札の画題はその年の干支や七福神など正月らしいものや縁起物が好まれました。
年初に配ることから暦入りの引札も好まれました。今でも年末年始のご挨拶にカレンダーを配る習慣がありますが、その元祖といえるかもしれません。明治16年には一枚刷りの略暦は出版条例に準拠して自由に販売可能になったため、暦入りの引札が許可なく作れるようになりました(❶)。明治5年に改暦もあったため、旧暦と新暦を併記したものも多くあります。見て楽しめるだけでなく、便利な情報を引札に入れることで、長く大切にとっておいてもらうことを狙ったものと思われます。

❶堺屋政平/下駄、履物 
1886(明治19)年 [資料No.43274]

3.正月用引札の作り手

明治30年代から、絵柄を先刷りし、あとから名入れするタイプの正月用引札が大流行します。製造元(版元)は多種多様な絵柄をまとめた見本帖を作り、全国の印刷所から注文を取りました(❷)。名入れは別の印刷所が行ったため完成品の引札に版元と名入れの印刷所の両方が刷り込まれているものも残っています。引札を利用する商店からすれば出来合いの絵柄に名入れ印刷するだけの手軽さで使い勝手が良かったと思われます。こうした引札には、同じ名入れの版をさまざまな絵柄に展開する例や(❸)、同じ絵柄で別の商店の引札という例がよく見られます。
隆盛期の引札の版元としては、大阪の古島竹次郎、中井徳次郎が有名です。いずれも色鮮やかな引札を多数作っています。古島竹次郎は明治18年に古島印刷所を創業、木版機械刷りによるぼかし印刷の創始とされています。明治27年に大阪で最初に動力機を導入したという記録もあり、大阪の印刷関連組合で要職に何度も就いた重鎮です。中井徳次郎は明治21年に中井印刷所を創業し、古島と同じく木版機械刷りによる引札をはじめ、団扇地紙、名所絵、ポスターなどを印刷していました。余談ですが、中井徳次郎は明治35年に中西虎之助と共に金属平版を主とするアルモ印刷合資会社を設立しています。中西虎之助は日本におけるオフセット印刷の開拓者の一人で、のちに凸版印刷株式会社(現・TOPPAN)の役員も務めています。また、中井徳次郎の養子である中井利正も後年、凸版印刷の取締役を務めており、中井徳次郎は弊社とは縁のある印刷人の一人といえます。

❷引札見本帖 
1915(大正4)年  [資料No.00755]
❸青松堂小阪商店/薬
[資料No.02231]
❸青松堂小阪商店/薬
[資料No.02233]

4.さまざまな印刷表現

木版機械刷りとは、いったいどのような印刷方法なのでしょう。一般的に木版印刷というと、木を版材にした凸版印刷で、水性の印刷インキを版面に塗布し、紙を載せ、紙の裏から馬連でこすって印刷をします。それに対し木版機械刷りは油性インキを使い、活版印刷機で印刷するものです。
昭和11年に発行された『印刷美術年鑑』に中井徳商会が「木版機械刷に就て」と題した文章を寄せています。それによると「区画ローラーを用ひて濃淡の調子を取りつゝ僅か四五回の掛け合わせで、二三十色の色をじゆうに出し得るやうになりました」と記しています。同書に差し込まれている印刷見本を見ると( ❹ )、手近な印刷技法である木版印刷でありながら油性インキによる発色の良さと、伝統的な職人技であるぼかしの表現を兼ね備えており、当時の人々に新鮮に受け止められたことがうかがえます。しかも機械で簡単に印刷できる仕組みが開発されたことで、大量生産が可能となり製造コストも下がったのだろうと推測します。
引札は江戸時代末頃から昭和初期まで多くの商店に利用されてきたため、今でも各地にたくさん残されています。明治・大正時代は海外から新たな印刷技術が次々と導入されたため、新旧さまざまな印刷表現を見ることができます。印刷技術の変遷を知るうえで引札は格好の題材ともいえます。いくつか紹介してみましょう。

❹木版機械刷り見本
(『印刷美術年鑑 昭和11年版』より)

【木版印刷】
江戸時代から続くいわゆる伝統的な木版印刷です。木材の板目を版にして手摺りしたものです。馬連でこするため、木目がしっかりと出ています。(❺)

❺山澤友次郎/宿
1889(明治22)年  [資料No.44494]

【活版印刷】
明治初期に新聞印刷などで一気に広まりました。文字のハンコ(活字)を組み合わせて印刷します。明治期の引札には図版は木版で、文字は活版印刷というものも珍しくありません。(❻)

❻和泉貯金銀行/金融
[資料No.44473]

【銅版印刷】
一般的に銅版印刷というと、版材に銅を使った凹版印刷のことを指します。線の多少や版のくぼみの深度により、濃淡に変化が付けられます。ち密な表現を得意としています。(❼)

❼河本庄兵衛/布地
[資料No.01845]

【石版印刷】
水と油の反発作用を利用して平らな版で印刷する平版印刷。版材に石灰石を使うため石版印刷といわれます。木版印刷に比べより絵画的な表現が特徴です。引札によくある砂目石版の表現を紹介します。(❽)

❽佐藤辰太郎商店/化粧品他
[資料No.44475]

【写真版印刷】
絵や文字などの原稿を撮影したネガまたはポジを、感光材を塗布した版材の上におき、光を当てて画像を焼き付けます。その後化学的処理を施し、版に仕上げる製版方法で、あらゆる版式で応用されています。紹介する引札は七福神の顔が写真網凸版で、拡大すると網点が見えます。(❾)

❾引札見本
[資料No.34469]

5.引札に代わる広告媒体

大正3年に起こった第一次世界大戦は日本を工業国へと変え、大戦景気は資本主義化を一気に進めました。生産性が向上した結果、大量の製品を販売するために販促活動が活発になりました。また大正時代は戦争や米騒動など、人々の関心を集める出来事が立て続けに起こり、新聞の読者数が100万部を突破、雑誌も数十万部発行するものが登場するようになります。マスメディア広告として新聞広告、雑誌広告が成熟し、加えて大判のポスターや郵便で届けるDMといったさまざまな広告が世にあふれるようになりました。引札は、いつの間にかチラシと呼ばれるようになり、配る広告ではDMやカレンダーに、また人目を惹く広告では色鮮やかなポスターにその役割は引き継がれていきました。
(印刷博物館 学芸員 山口美佐子)

【参考文献】
・『印刷美術年鑑』(大阪出版社、1936年)
・『 大阪印刷百年史』(大阪府印刷工業組合、1984年)