印刷博物館ニュース

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Vol.93 - 特集2 -

ヨーロッパ近代思想と印刷

中世までのヨーロッパ思想には哲学・科学・技術といったはっきりした区別はありませんでした。
今回は「近代哲学/近代科学の父」と称されるデカルトを例に、16-17世紀のヨーロッパでいかに実用知と学問分野がむすびつき、近代思想へ発展していったのか、そのきっかけのひとつに印刷産業があったことをおつたえします。

国語の誕生と活版印刷

ルネサンス期のドイツでグーテンベルクが活版印刷をうみだして以来、わずか数十年のあいだに天文学・地理学でプトレマイオス『宇宙論』、建築学でウィトルウィウス『建築論』、数学でユークリッド『幾何学原論』など、各分野で有名なギリシャ・ローマ古典が出版されました。ただしいずれも人文主義者が発見した写本をもとに印刷された古典です。あたらしい論説が公表されはじめる16世紀以降とちがい、あつかうタイトルにも言語にも限りがありました。
他方、16世紀にはいりさらに印刷本の需要がたかまるなか、ルターが聖書をドイツ語で訳し出版します。16世紀最大級の〝事件〟の波紋はまたたくまにひろがり、北欧から南欧まで次々と「国語」がうまれます。ともと中世ヨーロッパで知の共有は主にラテン語でなされていました。けれどもルター以降、活版印刷術の力をかりながらみずからの考えを、作者は自国語で出版していきます。地方の方言でしかなかったはなしことばを、〝よむ〟ことばとしてとらえるようになったのです。トスカーナ地方の方言であらわされたダンテ著『神曲』のおかげでイタリア語が発展したように。活版印刷とむすびつき、「国語」の概念がひろまりました。フランクフルト(ドイツ)の書籍市であつかわれるラテン語とドイツ語の本の比率は1630年までは二対一だったのに、1680年代にはドイツ語がラテン語を上まわっていたとされます(『西洋をきずいた書物』、37ページ)。

テキストを〝批判〟する

古代から中世にかけて、おおくの科学書はパピルスや獣皮紙に手で写されていました。あるいは研究者同士、手紙でやりとりし、論をねりあげていくこともめずらしくありません。古典にしろ、あらたな論説にしろ、手がきの科学書や手紙はとにかく、かきおえるまで時間もかかれば、間違いもあります。複数の科学者が同時におなじテキストをよみこみ、平等に「査読」するには不むきな時代が写本時代でした。ところがグーテンベルクのおかげで、同時代の科学者へ校正校閲済みの正しいテキストがあっという間にとどけられます。
科学、哲学の発展には、関心をもつおおくの人と客観的なてつづきで自説を実証しなければなりません。16世紀になるとたとえば望遠鏡をつくったガリレオや、顕微鏡をつくったフックのように自分で道具をつくる大学出身の知識人があらわれます( ❶ )。いずれも以前はレンズ職人の仕事とされていた観測機器でした。16世紀半ばのフランスで国王につかえた技術者ジャック・ベッソンによる『器具と機械の劇場』(1594年刊)。日常生活でつかう道具が銅版画で描かれます。造船、土木、製造装置など中世のあいだ職人がうみだしてきた技術を、幾何学つまりアカデミズムとむすびつけようとする意図が、タイトルページにある正六面体やアリストテレスなど賢人の絵からわかります( ❷ )。古代ギリシャ・ローマ由来の学問分野のちからをかりることで権威づけをはかっていたとおもわれます。職人技と学問の接近を物語っています。おなじように商人のものとされていた計算術をまなび、数式で緻密な論証をくりひろげる学識者がふえていきます。このように実用とアカデミズムがちかづいたすえに登場したのが17世紀の科学であり哲学でした。実験・観察からえた客観的証拠をもとに自国語で自論をつたえていきます。

❶ロバート・フック(イギリス)『ミクログラフィア』より。
フックは自作の顕微鏡を使ってノミを観察した。
[資料No.29463]
❷器具と機械の劇場』タイトルページ
[資料No.29454]

科学と哲学の第一人者 デカルト

たとえばルネ・デカルトはどうでしょう。近代的な形而上学誕生のきっかけになった『方法叙説』を、デカルトは母国語であるフランス語であらわします( ❸ )。〝反証〟を前提とした科学書・哲学書を自国語で出版することは、デカルト以降スタンダードになります。近代哲学者として名をはせるルソーもカントもヘーゲルも、科学のちからもかりながら自国語で論をくみたてました。もちろん17世紀ヨーロッパでもニュートンやライプニッツのように、あえて主著をラテン語でかく知識人はいました。しかし自国語のひろがりにより、本の世界でラテン語はだんだんへっていきます。
さらにデカルトは挿絵のちからをかります。当館所蔵『方法叙説』に所収される『屈折光学』。光に関する10章からなる論稿で、たとえば第5章「眼球の裏側に形成された像」には光の屈折が、第6章「イメージ」には眼のしくみが、第9章「レンズの説明」には望遠鏡が、いずれも木口木版による挿絵でビジュアル化されています( ❹ )。
印刷出版史からみると、「自国語によるテキスト」と「科学的図像表現」がルネサンス以前とデカルトの著作があきらかにことなる点です。デカルト以降、科学や哲学の分野では、ただしいテキストと図像がたくわえられ、時空をこえて反証されぬくことがもとめられます。活字と版画術はそうした「知」の流通を可能にし、おおきく花ひらかせたのです。近代科学や哲学の発展を印刷産業がささえたともいえるでしょう。
デカルトは現代のわたしたちがイメージする哲学者でも科学者でも数学者でもありません。専門化していく近代思想の分岐点にいました。テキストと挿絵という印刷術の恩恵をうけながら、現代につづくあらたな知の交流をうみだしたのがデカルトだったのです。
(印刷博物館 学芸企画室長 中西保仁)

❸デカルト『方法叙説』冒頭ページ
[資料No.41112]
❹デカルト『屈折光学』より。第9章「レンズの説明」に望遠鏡の挿絵がつかわれている。
[資料No.41112]