コレクション

島霞谷鋳造鉛合金活字(島活字)

展示中

1870年(明治3年)制作

資料番号:33192

幕末、多くの人々が新しい社会や方法を模索した時代、この活字を作った島霞谷にとってもそれは同様でした。単なる新し物好きと言ってしまえばそれまでですが、西洋から伝わった新しい記録メディアを積極的に試し、技法を研究し、自分に関わりのある人や物を記録した人物、それが霞谷です。油絵、写真、そして活字などさまざまな分野に関心を示しますが、それぞれが霞谷にとっては実験であり、傾倒した記録メディアでした。
霞谷の開発した活字はその原形を作る母型と父型の素材に特徴があります。通常は金属を使用するのですが、霞谷は黄楊と柳の木を用いています。木を使用する方法は非常に珍しく、鋳造時に生じる熱の対策に適度の湿り気がある柳を母型に用い、母型に打ち付ける父型は、柳よりも硬い黄楊を使用するというユニークな発想に、彼の柔軟な思考力をみることができます。
この活字は東京大学医学部の前身である大学東校の教科書に数多く使用され、明治の近代的な医学教育に大きな貢献を果たしました。