コレクション

『宇宙の神秘』(第2版)

展示中

1621年制作/サイズ:205×323×20mm(横×縦×厚み)

資料番号:41104

ヨハネス・ケプラーは惑星運動の三法則を確立した人物として有名です。しかし、ケプラーも直ちにその三法則を確立したわけではなく、紆余曲折を経てその考えに至りました。本書は1596年ケプラーが25歳のときに太陽系の秘密を解明したと称し、初めて出版した本の第2版(1621年)にあたります。ケプラーはコペルニクスによる太陽中心説を受け入れ、惑星軌道の相対的な大きさは、地球の軌道を含む球に五つの正多面体を内外接させることで決まると記しました。このエッチングによる銅版画は、ケプラーが構想した軌道のモデルを視覚的に理解させるための概念図として、幾何学的に完結した形になっています。太陽を中心とし、正多面体と球を順に内外接させていった時の球が当時知られていた惑星軌道となると説明しています。
本書の出版は当時、話題を呼び、天文学者ケプラーの名を知らしめるきっかけとなりました。本書が、説得力をもって多くの読者を獲得する過程で、添付図が果たした役割は大きかったといえるでしょう。文章では読み下すことが困難な理論も、一枚の図で説明することができるからです。さらに、ケプラー自身にとっても、最終的に幾何学的な図形によって軌道のモデルが表現できることは重要なことでした。なぜなら古代ギリシアのプラトンにならい「神は幾何学者である」と考えていたケプラーは、さまざまな自然現象には、数学的な秩序が存在すると考えていたからです。
1599年にケプラーはデンマークの天文学者ティコ・ブラーエに招かれ、彼が収集した観測記録をもとに惑星軌道の研究を行います。その中で、火星の観測データが特に理論と合わないことから、プトレマイオスの時代より当然のものとして考えられてきた「惑星は円軌道を等速に動く」というモデルを捨て、「惑星は太陽を焦点とした楕円軌道を非等速に動く」という第一、二法則をはじめとした惑星運動の三法則を確立しました。