コレクション

「太平記英雄傳 尼中鹿之助幸盛」

収蔵品

1848年(嘉永元年)~1849年(嘉永2年)制作/サイズ:255×370mm(横×縦)

資料番号:00726

歌川国芳による浮世絵の揃物「太平記英勇伝」からの一枚です。タイトルは尼中鹿之助幸盛ですが、モデルとなった武将は、中国地方の戦国大名尼子氏の重臣・山中鹿助幸盛(やまなかしかのすけゆきもり)です。幸盛は優れた武勇で知られ、「山陰の麒麟児」の異名をとりました。尼子氏が毛利元就に攻められ主君が降伏した後も、幸盛は主家再興ために奔走しました。その後、織田信長の援助を受け、羽柴秀吉に従って出陣しましたが、最後は毛利軍に捕らえられ殺されてしまいました。
幸盛は三日月の前立ての兜をかぶり、十文字の槍を脇に抱え、三日月に向かって両手を合わせています。「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と幸盛が尼子家再興のために三日月に祈ったという逸話が残されており、衰亡した主家に忠誠を尽くして戦い続けた話は、江戸時代には講談で取り上げられ、明治時代には教科書に掲載されました。
木版で印刷された「太平記英雄傳」は全部で50枚から成ります。当時はまだ幕府の厳しい統制があり、武将の浮世絵の出版には制限がありました。制限をかいくぐるために敢えて似た名前にするなど、絵師の国芳をはじめ、企画を実行した版元、印刷を担当した彫師、摺師たちの意気込みが伝わってきます。