コレクション

『蕙蘭画譜』

収蔵品

1888年(明治21年)制作/サイズ:228×344mm(横×縦)

資料番号:01118

蕙蘭とは、東洋蘭の一種です。花ではなく、葉に入る模様を楽しむ蘭で、葉芸品・柄物と呼ばれ鑑賞されます。中国から輸入された蘭が、趣味として栽培されるようになったのは、鎌倉から室町時代にかけてのことと言われています。江戸期に入ると大名だけでなく、民間の趣味人にも徐々に広がっていき、明治末期には趣味として洗練された形で定着しました。流行に伴い、出版物も数々出されています。『蕙蘭画譜』もその一つです。疋田敬蔵による編集で、蘭培養家の疋田源吾、永田弥吉が諸家の所蔵する名品から30点を選び掲載、発刊しました。

この『蕙蘭画譜』は石版印刷で刷られ、一部は手で彩色されています。濃淡を表現しやすい石版印刷は、葉の模様、陰影などを精確に表せました。また、蘭だけでなく、鉢の文様も風流に、時には金をつかって豪華に描かれています。画工としてこの絵を担当したのは平和安民、印刷したのは聚英舘石版部、編集人疋田敬蔵の印刷会社です。
疋田敬蔵は、工部美術学校でイタリア人画家フォンタネージから洋画を学んでいます。フォンタネージ門下では、同校退学後石版業を営む者も多く、疋田もその1人です。疋田は明治9(1867)年、フォンタネージの帰国とともに退学し、石版印刷業を始めた玄々堂で明治10(1877)年頃から絵を教え、石版印刷を手がけました。その後、北海道開拓使御用掛として札幌に滞在し、さらに東京に戻ってからは、蜷川式胤の印刷工房、楽工舎でも石版印刷に関わっています。明治17(1884)年、生まれ故郷である京都に戻り、京都画学校に教師として赴任しました。聚英舘は画学校退職後に設立した自らの印刷会社です。