コレクション

中山太陽堂発行〈クラブ白粉〉

収蔵品

1922年(大正11年)~1928年(昭和3年)頃制作/サイズ:510×760mm(横×縦)

資料番号:01743

中山太陽堂は、1903(明治36)年に創業した化粧品メーカーで、「クラブ洗粉(あらいこ)」をはじめ、「クラブ歯磨」、「クラブ白粉(おしろい)」など次々と売り出しました。大正時代に入ると第一次世界大戦の影響で大戦景気となり、経済活動は活発化しました。生活が近代化し、消費社会への転換が図られていきました。こうしたことは広告の増加からもうかがい知ることができます。中山太陽堂は当時主流だった新聞広告のみならず、色鮮やかなポスターも多数制作しています。
ポスターは明治期に欧米から入ってきた新しい広告で、明治中期から末期にかけ制作されるようになりました。印刷は石版印刷という方法で行われました。石版印刷は石灰石を版材とし、水と油の反発作用を利用して平らな版で印刷する方法です。画工と呼ばれる技術者が、使用する色数分の版を石版石に描き分けて製版していました。カラフルで大判なポスターは時間と費用が掛かり、当初は制作するのは百貨店、飲料メーカー、化粧品メーカーなど限られた業種でした。重い石は取り扱いが困難なため、大正時代には石から金属板へと版材が変わり、製版も写真製版法が導入されるなど、技術革新が進みました。