コレクション

『新街私塾餘談 初編一』

展示中

1872年(明治5年)制作/サイズ:145×185mm(横×縦)

資料番号:24845

本資料は、明治2(1869)年に西洋式活版印刷術を日本に導入した本木昌造によって、3年後の明治5(1872)年に長崎の地で作られたものです。小さな本ではありますが、ルネサンスの三大発明の一つ、西洋式活版印刷術の日本での本格的導入を今に伝える資料です。
日本では古くから木版を用いた印刷が盛んであり、錦絵などに見られる高度な技芸の域に達してはいましたが、等しく、速く、多くといった近代社会の形成に必要な要素を満たすためには、西洋式活版印刷術の導入が不可欠でありました。本木昌造により導入された蝋型電胎法と呼ばれる活字母型の製造法とプレス機による西洋式印刷術は、それまで行われていた、彫り師が印刷物ごとに新たな版を彫り、刷り師が馬連で手摺りする「個人の技芸」に頼った技術とは異なり、最終製品を想定し、一過性ではないものづくりのための合理的なシステムを前提とした「規格化と分業化」でありました。
こうした意図の上で制作された部品である活字と、効率的な量産すなわち省力化のためのプレス機の使用は、今日的な大量生産への道を開き、そしてこの方法は、近代を形成する「生産システム」そのものでもありました。本資料は昌造が、近代人育成のために開いた私塾の印刷教育の一環として、完成したばかりの和製鋳造活字を用い作製されたもので、日本の近代と活版印刷術の黎明期を今に伝える貴重な資料といえます。