コレクション

鯰絵「地震のまもり」

収蔵品

1855年(安政2年)制作/サイズ:249×368mm(横×縦)

資料番号:26918

時は江戸時代の終わりごろ、ペリー率いる黒船艦隊来航の衝撃も覚めやらぬ安政2(1855)年10月、突如江戸の町を大地震が襲い甚大な被害をもたらした。世に言う安政の大地震である。この大地震直後、「鯰絵」と呼ばれる木版画が江戸市中において大量に出回り、その数は数百種類にものぼったといわれている。
この鯰絵は常陸国(現在の茨城県)の鹿島大明神が、地中奥深くにすむ大鯰が地震を引き起こさぬよう、要石(かなめいし)で押さえ付けているという民間信仰をモチーフに、鯰を擬人化し、震災の状況を木版画により印刷表現したものである。作品は、鯰が神や民衆に退治される姿や、世直しを行う鯰を描いたものなど多岐にわたっているが、なかには地震除けの梵字の呪文が刷りこまれたものもあった。この呪文が刷り込まれた鯰絵は、大地震後に繰り返し起こる余震におびえる人々の恐怖を取り除く護符としての役割を担っていたと考えられる。
左の鯰絵は、鹿島大明神に連れられた鯰が、井戸の神と地の神を従えた天照大明神の前で手形を押して詫びを入れているところを描いたものである。その手形の証文には、梵字の呪文が刷り込まれており、この梵字を切り抜いて家の東西南北に貼っておくことで、再び地震が起きても家が倒れないとされていた。