コレクション

『金魚養玩草』

収蔵品

1748年(寛延元年)制作/サイズ:158×102×5mm(横×縦×厚み)

資料番号:29296

『金魚養玩(そだて)草』は、江戸時代に刊行された金魚の飼育書です。江戸時代の人々に人気を博したようで、たびたび版を重ねました。大阪堺の安達喜之(きし)という人物が書いています。
金魚の由来から始まり、本書では文亀2(1502)年に堺に入ってきたことを最初としています。そのほか、尾っぽの形の違いが詳しく述べられていたり、雌雄の見分け方や水を取り替えるタイミング、病気の種類や病気にかかったときの治療の仕方などが記されています。
縁日などでもよくみかける、私たちにとって身近な魚の一つである金魚は中国が原産の魚で、中国のフナの変異種を改良したものです。最初は一部の富裕層などの間で話題になっていましたが、時代が経つにつれ、庶民の間にも金魚飼育が普及し、江戸時代には金魚ブームが起こりました。
日本における金魚の三大養殖地は奈良県大和郡山市、愛知県弥富(やとみ)市、東京都江戸川区といわれています。中でも大和郡山市は歴史があり、享保9(1724)年郡山藩初代藩主となった柳澤吉里が甲府藩から入部したときに始まると伝えられています。柳澤吉里は江戸幕府第五代将軍・徳川綱吉に重用された側用人、柳沢吉保の息子です。