コレクション

「新紙幣 金壱円券」

展示中

1872年(明治5年)制作/サイズ:71×112mm(横×縦)

資料番号:33204

フランクフルトのドンドルフ・ナウマン社製作によるこの紙幣は、ゲルマン紙幣とも呼ばれます。贋札に悩まされた明治政府によって同社に発注されました。龍や鳳凰の彫刻は、当時イタリア国立銀行よりドンドルフ社に派遣されていたエドアルド・キヨッソーネが担当しました。地紋は当時最新の技術であったエルヘート凸版によって印刷され、その精巧な印刷に当時の日本人はとても驚きました。
明治になってから、それまで出回っていた藩札や兌換券、民間の為替会社札などをまとめ、一種類に統一する必要に迫られた政府は、太政官札、民部省札を発行しました。それらは、徐々に定着していきましたが、しかし、腐食での製版が主体であった当時の日本の銅版技術ではセキュリティ性に限界があり、多くの贋札が出回りました。「ゲルマン紙幣」「明治通宝札」と呼ばれるこの新紙幣は、贋札対策として政府がドイツに製造を依頼し、発行したものです。
当初、おもて面下部の「明治通宝」の文字は、日本に持ち込まれてから大蔵省紙幣寮で木版によって印刷されました。その後、紙幣寮は、新紙幣製造に用いた各種の印刷用版を引き取り、また製造に使用した印刷機などの譲渡を受け、紙幣国産化を目指しました。印刷機とともに、凹版印刷技師のブリュック、凸版印刷技師のリーベルスが来日し、さらに原版を彫刻したキヨッソーネも指導者として招聘され、日本で本格的な紙幣の印刷が始まりました。