コレクション

「東京築地ホテル館之図」

展示中

1870年(明治3年)制作/サイズ:354×718mm(横×縦)

資料番号:51619

歌川国芳の門人、歌川芳藤(1828~1887)が描いた浮世絵です。描かれているのは江戸に来た外国人向けの宿泊および交易のための施設で、東京築地鉄炮洲居留地(現在の中央区築地六丁目付近)に建てられました。建物は和洋折衷建築になっており、「外国人旅館」、「江戸ホテル」、「築地ホテル館」など複数の名前でよばれていました。工事は慶応3(1867)年8月に開始され、翌明治元(1868)年11月の東京開市までには終了していたと思われます。この間に大政奉還、戊辰戦争勃発、江戸城開城、東京への改称、明治への改元などが行われ、時代は目まぐるしく動いていました。
明治維新から150年経った今、当時の印刷物を見ると、いろいろな変化が現れていたことに気が付きます。例えば木版印刷による浮世絵は、江戸時代では役者絵、美人画、相撲絵などが人気でした。しかし幕末に横浜絵が流行すると、明治維新期には東京を中心に変化する風景、風俗、事象などが描かれた開化絵が盛んに発行されました。開化絵では洋風建築物、蒸気機関車、鉄道馬車、ガス灯、電灯、洋服、博覧会、政治家の肖像などさまざまなものが画題となりました。築地ホテル館を描いた開化絵はとりわけ多く、100種類を下らないといわれています。商機に敏感な版元たちは、物見にきた人が東京土産として開化絵を買っていけるように、絵師や彫師や摺師たちに製作を急がせたことでしょう。
築地ホテル館の設計はアメリカ人建築家のR・P・ブリジェンスで、施工は二代目・清水喜助(現・清水建設株式会社)が受けました。江戸幕府の依頼で建設を始めましたが、完成時には既に幕府は崩壊し、責任者は明治政府に移っていました。惜しくも築地ホテル館は明治5(1872)年の銀座大火で焼けてしまいました。これをきっかけに、政府は銀座を耐火構造の西洋風の街路へと改造しました。そしてそこが再び開化絵に描かれるようになりました。