コレクション

『和蘭天説』

展示中

1796年(寛永8年)制作/サイズ:175×266mm(横×縦)

資料番号:69428

コペルニクスが唱えた地動説を日本に紹介した最初期の版本および銅版画群。蘭学者の平賀源内や大槻玄沢たちとの交流を通し、江漢は西洋の近代科学に興味をもちました。西洋の科学辞典を参考に、日本ではじめて腐食銅版画(エッチング)を成功させた人物としても知られます。手で美しく彩られた銅版画は、いずれも見応えのあるものばかりです。
司馬江漢の代表作。版本のみならず、江漢が残した一連の銅版画がこれだけ揃っているのは大変珍しいです。初版九刷あるうち第三刷にあたり、国内で確認されているものでは四番目に古い版になります。天球図はじめ十枚のエッチング銅版画と目録一枚(木版)が含まれます。
狩野洞春、鈴木春信、宋紫石らから日本画を、秋田蘭画の小田野直武から洋風画を学びました。おかげで江漢は独特な画風を生み出すことに成功します。一方で、洋書を蘭学者に翻訳してもらったおかげで、江漢はたくさんの科学知識を得ることができました。以降、「科学者」江漢は自ら科学書を出版していきます。一方で天球図はじめ〈太陽真形〉〈月輪真形〉などの銅版画は、江漢が直接観察したものではなさそうです。望遠鏡を制作した記録が見あたらないからです。洋書にある挿絵を模写したのでしょう。
安永年間の『解体新書』開版以来、日本人はヨーロッパ近代科学導入に力をいれます。医学、天文、化学、物理、生物、いずれも幅広い交友の輪のなかで情報交換し、培われたものばかりです。江漢もその輪に加わっていたわけです。