コレクション

『新編鎌倉志』

収蔵品

1685年(貞享2年)制作/サイズ:180×277×11mm(横×縦×厚み)

資料番号:74819~74830

『新編鎌倉志』は、水戸黄門で有名な水戸藩第2代藩主徳川光圀が家臣の河井恒久らに命じて編纂させた、江戸時代の地誌書です。貞享2(1685)年に京都の柳枝軒(茨木/小川多左衛門)という板元から8巻・12冊で刊行されました。単なるガイドブックではなく、100冊以上の資料を元にして考証・編纂されており、学術調査報告に近い書物です。
当館所蔵の『新編鎌倉志』は見返しが茶色の薄墨で摺られており、貞享2年刊行のものと思われます。また、図版には丁寧な彩色が施されています。
延宝2(1674)年、徳川光圀は鎌倉の各史跡を訪れます。光圀は当時、水戸藩藩主でした。江戸の小石川にある水戸藩藩邸に帰着するまでの間に見聞した記録を家臣の吉弘元常・河井恒久がまとめ、『鎌倉日記』に記します。これが基礎的な史料となり、また延宝4(1676)年に河井恒久を鎌倉に遣わして調査を加え、『新編鎌倉志』が編纂されることになります。しかし河井恒久は編纂途中で亡くなり、力石忠一が光圀の命を受けて編纂を引き継ぎました。柳枝軒は江戸前期から近代まで続く京都の板元で、水戸藩彰考館の著作以外にも貝原益軒の著作や宮崎安貞の『農業全書』、地誌書など多様なジャンルを扱い、数多くの書物を出版しました。
徳川光圀は人気を博した講談『水戸黄門漫遊記』などにより諸国を漫遊したかのように思われがちですが、実際には諸国を漫遊しておらず、訪れた場所は鎌倉や江戸、水戸藩領内に限られます。後の廃仏毀釈の混乱により、鎌倉においても鶴岡八幡宮などが被害を受け、多くの仏像・仏具や仏堂などが破壊されてしまいましたが、『新編鎌倉志』は破壊される以前の姿を伝えてくれる貴重な書物の一つです。