コレクション

『舜水朱氏談綺』

収蔵品

1705年(宝永5年)制作/サイズ:226×160×11mm(横×縦×厚み)

資料番号:74831~74834

『舜水朱子談綺』は、朱舜水が日本の門弟たちからの質問に対して回答した内容を、水戸藩第二代藩主徳川光圀が家臣の安積澹泊に命じて編纂させた書物です。三巻四冊で宝永5(1708)年に京都の板元、柳枝軒(茨木/小川多左衛門)から刊行されました。三巻のうちの上巻には人見懋斎が編集した朱舜水から学んだ書簡などがまとめられています。図には一部彩色を施し、印判箇所を朱の判で示したりと、刊行に際して労を惜しまない姿勢がみられます。中巻には孔子廟の図や仕様など、下巻には中国の語彙の事物や名称を「天地」「人倫」「飲食」などに分類され、訓や簡単な説明が記されています。「飲食」の部には月餅、餃子などが紹介されています。
朱舜水は明の儒学者で、明朝再興のための運動に参加していましたが、再興が難しいことを悟り日本に亡命しました。寛文5(1665)年に徳川光圀が小宅生順を使わして朱舜水を招聘、江戸へ移住させ、光圀や多くの学者たちと交わりました。
安積澹泊は朱舜水に師事し、また水戸藩の彰考館で佐々宗淳らとともに総裁を勤め、『大日本史』の編纂にあたり主導的な役割を果たした人物です。『水戸黄門』でおなじみの「格さん」のモデルになったといわれています。